よく知られている水子供養とは、水子供養を行っているお寺などで
そこの僧侶に供養のためのお経を上げてもらったり、
お地蔵さんを建立するなどが一般的です。
しかし、先祖供養でもそうですが供養というものは
施主の自己満足に終わっては、意味がないのです。
もっといえば、供養とは仏に届かなければやった意味がないのです。
水子も、生まれた人も実はまったく同じ魂なのです。水子の命は
水子になるために宿ったわけではありません。
つまり、自分の勝手都合だけで
かけがえのない命をいとも簡単に奪って、しかも捨てているわけです。
ですから、水子は成仏できず永久的に迷い続けます。
なので水子とはいえちゃんとお葬式を出して葬ってあげないと
うかばれないのです。
でも、逆に言えばちゃんと葬式を出してお位牌やお墓に入れてあげることで
喜んでくれるのです。そして、水子が自分の親、兄弟をも守ってくれます。
同じ命だと思えばそれほどむげには出来ないと思うのです。 合掌
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